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キーワード:"競馬"
重賞レースについて
宝塚記念
阪神競馬場で行われる芝2200mの重賞競走です。
阪神競馬場は宝塚市にあるので、そこから宝塚記念と名付けられた。
この宝塚記念は創設当初から上半期の日本競馬のグランプリとして位置づけられている。
春季にクラシックやトライアル競走が多くあった関東地区に対して、関西地区は桜花賞と天皇賞しか大競走が無く盛り上がりにかけていた。
そこで、有馬記念に匹敵するくらいの大競走を関西地区で開催したいという意向があり、有馬記念と同様にファンの投票によって出走馬を決める宝塚記念が創設された。始まりは1960年で4歳(現3歳)以上の混合の重賞競走。
第1回開催は、阪神競馬場で行われたが、距離は1800mだった。
近年は国際化の流れもあり、フランスの凱旋門賞など遠征を見据えて本競走に挑む例が増えており、上半期のグランプリレースであると同時に海外の国際競走へのステップレースとしても据えられている。
春季の4歳以上の競走馬にとって香港のクイーンエリザベス2世カップへ出走する馬も増えてきているが、国内の中距離G1では唯一出走可能なレースであり、近年、天皇賞の価値が下がってきていることもあってか以前よりも本競走の価値が上がってきている。
かつては勝ち抜け制度の天皇賞の勝ち馬や、クラシック競走に出走権が無かった外国産馬やせん馬にとっては大きな目標となっていた。
上半期のG1を締めくくる中距離レースであり、その年を締めくくる有馬記念をグランプリと呼ぶことになぞらえ宝塚記念は春のグランプリ、夏のグランプリと呼ばれている。
重賞レースについて
安田記念
東京競馬場で行われる芝1600mの重賞競走です。
競走名は日本中央競馬会初代理事長の安田伊左衛門の功績を称え、その名前から付けられている。
1951年に競馬の発展のために安田伊左衛門は尽力してきたことで、安田賞として創設された。
創設当時は古馬での重賞レースは2000mのみだったのだが、この安田賞は古馬重賞レースの1600mで日本初だった。
1958年に安田が死去したため、安田賞から安田記念へと競走名が変わった。
1984年にグレード制の導入によりG1に格付けされ、開催日をオークスの前週としたため、出走資格を5歳(現4歳)に変更した。
その後、春のマイル最強馬決定戦に位置付けられ、秋のマイルチャンピオンシップと双壁を成す競走となっていった。
1993年には国際競走に指定され外国調教馬、1995年には指定競走に指定され地方所属の競走馬に出走資格を与えられた。
1996年に開催日を日本ダービーの翌週に変更したため、出走資格を4歳(現3歳)に変更している。
最後の直線が長い東京競馬場で行われているので、1600mといってもスピードだけではなくスタミナも要求される競走となっている。歴代の優勝馬はオグリキャップやウオッカなどの中距離重賞の優勝経験を持つ競走馬が多い。
双壁されている秋のマイルチャンピオンシップとは異なり、1番人気が不振に終わることが多いレースになることが特徴的。
2004年には国際グレードG1に格付けされ、翌年にはアジアマイルチャレンジを構成したため、香港マイル、ドバイデューティーフリーと海外の有名なレースと並び、アジアのマイル最強馬決定戦として定着していった。
日本ではもちろん、世界的にも日本で最も歴史と伝統があると格の高いレースとして知られている。
宝塚記念と共に春の最強馬を占うレースとしており、現在は春の東京G1、5連戦の最後を締めくくる1戦となっている。
重賞レースについて
日本ダービー
東京競馬場で行われる芝2400mの重賞競走です。
日本ダービーは日本の競馬において代名詞と言える競走である。マスコミ等からは競技の祭典と広く用いられている。
この競技で優勝した場合、副賞のトヨタ賞としてトヨタから高級車が与えられ、レースで実際に使用した鞍はJRA競馬博物館に永久保存され展示されることとなる。
中央競馬が誇る8大競技の1つであり、皐月賞、菊花賞とこの日本ダービーを勝利すると牡馬クラシック三冠馬と言われる。
皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われ、日本ダービーは「最も幸運な馬が勝つ」と言われている。
創設時より国内の大競技として常に競馬競走での中核を成し、国内で最高の賞金を誇っていた。そして未だ日本競馬界の象徴であり最大級の目標であるという点では創設以来その価値を保っている。
1932年に創設され、1950年に正式名称の東京優駿から日本ダービーという副称が付いた。
1984年にはグレード制の導入で、もちろんのこと、G1に格付けされた。
1995年に指定交流競走となり、地方所属の競走馬も出走可能となり、2001年には外国産馬の出走も可能となった。現在、外国産馬の出走可能は7頭となっている。
重賞レースについて
オークス
東京競馬場で行われる芝2400mの重賞競走です。
イギリスのオークスステークスを範としているため、日本国内でこの競走名をオークスとしている。
1938年に鳴尾競馬場で4歳(現3歳)牝馬限定の土2700mの競技で創設された。
1946年に競馬場を東京競馬場に移した。
1976年から、エリザベス女王杯が新設され、桜花賞とオークスとで牝馬三冠競走と構成されるようになった。牝馬三冠というフレーズは1986年に初めてメジロラモーヌが達成してからそう言われるようになった。
1984年にはグレード制の導入により、最も格の高いG1に格付けされた。
1995年には指定交流競走となり、地方所属の競走馬も出走可能となった。
牝馬三冠レースのうちエリザベス女王杯が古馬も出走可能となったことにより1996年に秋華賞が新設されることとなり、牝馬三冠レースが、桜花賞、オークス、秋華賞の3レースに変わった。
2003年には外国産馬の活躍があり、出走資格の見直しで、外国産馬が2頭まで出走可能になった。のち、2006年には外国産馬の出走が5頭に増えた。
中央競馬が誇る8大競技の1つであり、桜花賞、オークス、秋華賞を勝つことにより牝馬三冠と言われ、エリザベス女王杯を含めての勝利だと牝馬四冠と言われることもある。
オークスは「樫の女王決定戦」と呼ばれることもある。
牝馬での2400mは出走馬にとって始めての事が多く、2400mは未知の世界とも言われます。
重賞レースについて
ヴィクトリアマイル
東京競馬場で行われる芝1600mの重賞競走です。
競走名はローマ神話に出てくる勝利の女神からヴィクトリアマイルと名付けられた。
2006年の中央競馬の番組改定により、古馬の重賞競走の整備の一環として4歳以上牝馬限定の国際・指定の定量の重賞競走ヴィクトリアマイルとして新設された。
国際競走・指定交流競走なので、外国調教馬と地方所属の競走馬も出走可能になっている。
ヴィクトリアマイルが創設される前までは、牝馬限定のG1は2歳限定の阪神ジュベナイルFか3歳牝馬三冠競走の桜花賞、オークス、秋華賞か3歳以上のエリザベス女王杯で、古馬の牝馬はエリザベス女王杯しかなく、有力な牝馬の競走馬はG2,G3の重賞競走で重い斤量を背負って出走するか、止むを得ず牡馬との混合競走を目指すしかなかった。
しかし、ヴィクトリアマイルが創設されたことにより、古馬牝馬の春の目標となり、エリザベス女王杯と対となる春の古馬女王決定戦と位置づけれられた。
ヴィクトリアマイルの創設に関して、競走馬のレベル向上のため、強い牝馬は早期引退して繁殖牝馬となるべきという反論意見もあった。
創設当初はG1競走の中でも格が低く見られていたが、ダンスインザムード、ウォッカ、ブエナビスタなどの牡馬とも互角以上に戦える牝馬の出走により、春のG1競走の中でも注目度がかなり高いレースとなった。
重賞レースについて
NHKマイルカップ
東京競馬場で行われる芝1600mの重賞競走です。
優勝杯を提供するのがNHKなのでNHKマイルカップと競走名が付けられている。
1953年から1995年までの43年間、クラシック競走の日本ダービーのトライアル競走として施行されていたNHK杯を前身とし、1996年の中央競馬における番組改定に伴い4歳(現3歳)の外国産馬が日本ダービーに出走できなかったことから、目標となる大レースを創設する目的で、4歳(現3歳)歳牡馬・牝馬限定の混合・指定定量の重賞競走、NHKマイルカップとして新設された。
第1回は現在と同じ東京競馬場の芝1600mで行われていたのだが、名称が決まってなく、当初はマイルダービーという仮称だった。
日本ダービーが外国産馬に開放されるまでの間、本競走は「マル外ダービー」といわれ、4歳(現3歳)外国産馬にとって春競走の最大目標と位置付けられていた。2001年に外国産馬のクラシック競走への参加が可能となると本競走を日本ダービーの前哨戦にする陣営もある他、中山競馬場の荒れた馬場で行われる最終日の皐月賞を回避し、本競走から日本ダービーに向かう陣営もある。歴代の優勝馬の中には、日本調教馬で初めて海外G1競走を制したシーキンザパールやジャパンカップ優勝、サンクルー大賞優勝、凱旋門賞2着などの好成績を残したエルコンドルパサーなど、日本国内外の国際競走で活躍した競走馬が名を連ねている。
重賞レースについて
皐月賞
中山競馬場で行われる芝2000mの重賞競走です。
競走名は5月から皐月賞と決まった。
中山競馬場で開催されることで最大出走頭数は18頭となっている。
1939年は4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の重賞競走だった。
第1回開催は場所、距離は現在と違って、横浜競馬場で芝1850mで行われていた。
1943年に横浜競馬場が閉鎖されたため、東京競馬場で芝1800m行われ、1949年には現在の中山競馬場へと変更された。
1984年にはクレード制の導入により、G1に格付けされ、1995年には指定交流競走となり、地方所属の競走馬も出走するようになった。
2002年には総収得金額上位の2頭の外国産馬が出走可能となった。2006年位は上位5頭までと変更された。
中央競馬の8大競走の1つで日本ダービー、菊花賞とこの皐月賞で牡馬三冠競走となっている。
日本ダービーは最も運の強い馬が勝つ
菊花賞は最も強い馬が勝つ
皐月賞は三冠競走の中で開催日が最も早い時期に行われ、距離も短いということで、最もはやい馬が勝つと言われています。
重賞レースについて
桜花賞
阪神競馬場で行われる芝1600mの重賞競走です。
第一回は現在と異なり、中山競馬場で芝1800mでの競技でした。
当初は4歳(現3歳)牝馬限定でハンデキャップなしの重賞レースで名称もその競馬場から中山牝馬特別という名称で創設されていた。
1947年には京都競馬場の芝1600mへと変更され、名称が現在の桜花賞へとなった。
名称が桜花賞ということと、桜の咲く頃に開催されていたので、競馬ファン達はこの桜花賞のことを「桜の女王決定戦」と呼ばれるようになっていた。
1984年にはグレード制の導入により、最も格の高いG1に指定される。
1995年には指定交流競走に指定され、地方所属の競走馬にも出走出来るようになった。
2001年には馬齢表示の国際基準が変更され、4歳牝馬限定だったのが3歳牝馬限定と変更した。
2004年には外国産馬の活躍が多くなっていることもあり、出走資格が見直しされ、外国産馬が出走可能となった。2010年に外国調教馬の出走が可能となる。
中央競馬が誇る8大競走の1競走でオークス、秋華賞とこの桜花賞でG1牝馬戦限定で牝馬三冠を構成し、さらにエリザベス女王杯を含めると牝馬4冠と呼ぶこともある。
この桜花賞は第1コーナーから第2コーナーに入るまでに位置取りの激しい争いが繰り広げられていたため、騎手の中では難コース言う者が多かった。
また、1番人気の競走馬がなかなか勝てなかったため「魔の桜花賞ペース」というフレーズが競馬関係者が解説や敗戦の弁を吐露することがある。
この桜花賞で、上位4着までに入賞した競走馬にはオークスの優先出走権が与えられる。
地方馬も上位2着までに入賞した場合はNHKマイルカップの出走権が与えられる。
重賞レースについて
高松宮記念
中京競馬場で行われる芝1200mの重賞競走です。
1997年までは高松宮杯という名称だった。この年までは皇族の高松宮家から優勝杯を賜与されていたが名称変更と同時になくなった。
理由としては1998年に高松宮競輪において、宮家に支払われていた謝礼金が皇室経済法違反と言われ、高松宮家から優勝杯が下賜されなくなったことに伴い、以前から競艇で使用されていた高松宮記念へと改称された。
中央競馬の中で4大場(東京、中山、京都、阪神)とあるが、その競馬場以外で行われるG1競走はこの高松宮記念だけ。
1984年にグレード制の導入に伴いG2に格付けされ、最も格が高く、夏競馬においても最重要競走として定着していった。
1989年には混合競走に指定され外国産馬の出走が可能となった。
1996年には中央競馬の短距離路線の整備をし、秋のスプリンターズステークスと春の高松宮記念と言われるようになり、短距離最強馬を決めるスプリントレースとなっている。
現在はG1競走に昇格しており、地方所属の競走馬、更に混合競走から国際競走に指定され、外国調教馬も出走が可能となっている。

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